2010年3月31日水曜日

Baba Brooks

ついにBに入りました~!

Baba Brooks

スカ時代に活躍したトランペットプレーヤー!

1935年にジャマイカで生まれ

1950年後半からレコーディングを始め

1962年にIndependence Skaでヒット

あのSkatalitesとも何回もセッションを重ねる。

1964年にはBus StrikeとMusical Workshopでヒットを出す。

1965年にはGuns FeverをStudio 1から。

そして活躍は70年代前半までにいたる。

個人的にはこんなのが好きです。

Portrait Of My Love

Musical Communion




Augustus Pablo

 更新おくれて申し訳ありません。


少し忙しい感じで


なかなかパソコン見れないんですが


まれに更新できるよう頑張ります。


さておき


Augustus Pablo!


1953年6月21日ジャマイカに生まれ


ジャマイカ史上もっとも独創的な


ルーツミュージックを作り上げた彼は


いろんな楽器を操り、プロデューサーとしても


活躍した。


彼のキャリアは地元の教会でオルガンを使い


鍵盤の演奏技術を磨き始めるとこから始まる。


1971年。話は急展開する。


用事でAquarius Recordへ出向き、そこにいた


少女のメロディカを演奏していた所


プロデューサーHerman Chin Royと出会い、


衝撃を受けたHermanは翌日にスタジオを手配し


デビュー曲 Iggie Iggieを録音した。


ここのレーベルから


最高傑作といわれる


East Of The River Nile



Song of The East, Red Sea, African Rock


などを残した。


1972年には大ヒットJavaを発表



その後、いろんなプロデューサーと活動を重ね


Rockers Internationalを設立。


数々の傑作がここから生まれる。


Studio 1のリズムを使った


Skanking Easyや



Frozen Dub



Cassava Piece



さらにはダブの代名詞といわれる


King Tubby Meets Rockers Uptown



などでヒットを重ねる。


晩年、病気を患うも自然療法のみで闘い


Lee PerryやVivian Jacksonらと同様に


最も敬意を払われていたが、


1999年5月18日肺気腫により他界する。


うちのDAIKIの誕生日やん!


My Space:
http://www.myspace.com/officialaugustuspablo

2010年3月25日木曜日

ASWAD

ASWAD!!

やばいですねー

Red Roseの次はASWAD!

楽しいですねー。

有名なので参考なるサイトがたくさんありますよ・・


1975年にロンドンのNotting Hillで結成されたグループ。



Notting Hillってすごいイギリスって感じの場所ですね

こうゆうお城みたいなマンションがずら~っとならんでる場所です。

Aswadはアラビア語でBlack (黒)という意味で、

ラスタファリズムと人種的社会問題をフュージョンさせている。

デビューアルバムとして出したMangoレーベルからの

'ASWAD'はいきなり人気が高かった。

このアルバムに入っている

Old Fire Stick
めっちゃWicked!

このアルバムではロンドン暮らしのジャマイカ人の苦悩を語り、

ジャマイカ人たちにとって大きな救いになった。

その後も積極的に社会問題に立ち向かい

1978年にリリースしたアルバムHuletでは

よりルーツ色の濃い感じを出した。

彼らを代表する楽曲はWorrior Charge!

これはイギリスのレゲエ シーンを描いた映画

Babylonに使用されたんですね。

この頃から人気は絶頂に達し

1984年には

Chasing The Breezeや

カバーである54-46 Was My Number

でUKチャートを賑わせた。

80年代後半なると

Don't Turn Around

やOn And On
(12"Version)

でチャート1位になりレゲエから

ジャンルを広げていった。

1990年に発表したアルバム

Too Wicked

ではジャマイカのMusic Worksスタジオを使用し

原点に戻る様な作品も発表している。

その中にはShabbaとのコンビも!

Fire

Best Of My Love

ちなみにAswadの音楽は

Notting Hill人種暴動に強く関係しています。

ある日、ノッティングハムという場所で

黒人青年がパブにいた白人を刺殺す事件がありました。

このニュースが報道されると

1958年8月23日に

鉄パイプやチェーンをもった白人ヤンキー達

(イギリスではパイキーと呼ばれる軍団)

が集まり黒人狩りが始まってしまった。

すれ違う黒人に暴行加えたり

家を燃やすという荒業に出た結果

一週間以上暴動が続き

数千人の白人がこの暴動に参加したそうです。

オソロシー。

そしてその7年後の暴動が起きた8月に

Notting Hillカーニバルが開催された。

それは街角で行われるものではヨーロッパ最大となり

女王のメッセージで開幕するほど

国民的行事になっていきました。

そんな町で育ったAswadのメンバーは

人種間の緊張感を反映させたレゲエを展開してきた。

そんなAswadにRespect!



Anthony Red Rose

ではまたレゲエに戻りましょうか。

Anthony Red Rose!


シンガーであり、ソングライターであり、プロデューサーである

この人、彼の書いた詩で

Bounty Killa
Beenie Man
Cobra
Terry Linen
Gentleman
Simpleton
Fabby Dolly

からNo1ヒットが出ている。

自ら出した曲では

Under Mi Fat Tingや

Tempoが大ヒット

レゲエレコード辞書によると

Tenor SawやNitty Gritty等と共に

'アウト オブ キー'

と呼ばれるわざとキーを半音ずらして歌う方法

を使い人気が出たそうです。

名前の由来が、極度の綺麗好きと言われ

いつも綺麗なバラのような服装をしているから

あだ名がレッドローズになり

それに本名のアンソニーを合体させたんですね。

キャリアは12歳の時にスタート。

初リリースはDennis Starレーベルから

Sandy!

売れるようになったのは

Fire Houseのスレンテンに乗せた

Under Mi Fat Tingがきっかけ。

Tempoが次に売れ、

Old Pan Bangarang

Worries Again

Can't Knock Me

などがヒットした。

その後Anthony Malvoと

How Yu Fi Sey Dat レーベルを作る


そこからは自ら

Ganja Manをリリースしたり

Anthony Malvo & Josey WalesのSensi

を世に送り出した。


Anthony Red RoseとKing Kongのやばいコンビとか

めっちゃキラー!

Two Big Bull Inna One Pen

こんなシブいのも!

Too Much Gun Talk

かなり面白い+キラー

Electric Chair

Likkle Sound Boyは電気椅子送りだ~!





2010年3月23日火曜日

Nujabes

全くレゲエとは関係ないんですが、

この方について書かしてもらいます。


ものすごく感性豊かな音楽を提供してきた

世界で活躍する

日本が誇るべきアーティスト。

彼の曲を聴くと

自然に涙が出てきたり

いろんな事を深く考えさせてもらう事ができます。

今の腐ったJ-POPよりも

彼こそが本当の音楽を作っているって事を

できるだけたくさんの人に知ってもらいたいので書きました。

私はレゲエが好きですが、

正直Nujabesが音楽の中で一番好きです。


彼の音楽を聴くと

昔の思い出が流れこんできて

本当にしんみりします。

まさに言葉に表せないとはこの事。

なぜこの人について書いてるかと言うと、

Nujabesさん・・・

何日か前に亡くなっていたんです。

しかも交通事故で30代後半という若さで・・

なんで、こんなに素晴らしい曲を作っている人が死なないと

いけないんでしょうか・・

本当に残念です。

知らない人or有名人が亡くなって

ここまで悲しくなったのは初めてです。



こんな詩を見つけました。

「美しさ」というのは至る所に平然と存在しているもの。だけどそれらはあまりにも自然 に、あまりにも身近に息づいているから、往々にして見失われやすい。

高価な宝石なんかとは比べられない誇り高い輝きを持ち合わせ、聖書や他のどんな書物よ りも真っ直ぐにピュアな何かを伝達することが出来る、正しさに満ちている美しさ。

それを見たかったら目を開くだけでいいと思う。何処にも行く必要は無くて。もし素直な まなこで世界を見たなら、日常の何気ない光さえもその心を照らす輝きとなって、その瞳 に永久の感動を映し出す「美しさ」になり得ると思う。

何故ならその美しい世界は、あなたの美しい心そのものをリフレクトしたものだと思うか らです。

まさにReflection Eternalですね。



MINMIと一緒に作った曲もあります。


私の大好きなShing02と一緒に作った曲もあります。



是非全部聞いて行ってください。

そしてこうゆう本物の音楽を守っていきましょう。

REST IN PEACE NUJABES.


ONE BIG LOVE

最後にNujabesに向けて一曲送ります。

Moon Flow

月のようにずっと綺麗でいてください

月のようにずっと明りを照らしていてください

月のように優雅に流れていてください



2010年3月19日金曜日

Anthony Malvo

Anthony系の名前多いですね・・

ではAnthony Malvo!


説明する前に、

ダンスホール好きは必ずチェックするべき

アーティストです。

お勧めです。

1980年初期にBlack Star Soundとして活動開始。

そしてのちほどKing Jammysでシンガーとして活動するように。

初めて出したNO1ヒットは

Come Back To Me

そしてTigerと共に

Greatest Gal Loverでまたもやヒットする。

他にはDaddy Lizardとコンビで

Can You Stop The Rain、

Ready Or Not、

Josey WalesとSensi

などでヒットを重ねる。

現在はプロデューサーとして

めちゃくちゃ活躍しています。

また、シンガー活動もしていますよ。

こんなBig Tuneもありますしね!

Take You To The Dance





Anthony Johnson

お次はこの方

Anthony Johnson!!

ジャマイカのトレンチタウンで育ち

Mystic Eyeのトリオの一員としてシンガーを務めていた

彼はPerilous Timesで大ヒットを起こす。

ちなみにこの曲はLinval Thompsonの

ために歌ったそうな。

そしてソロを始めた時に

Jah Thomasがプロデューサーになり

Gunshotをリリース。

めちゃくちゃ有名ですね。

さらに

Dancehall Vibes

Life Is Not Easy

Africa

Know The Truth

などでヒットを重ねる。

80年代に入るとイギリスに拠点を置くようになっている。

私が特に好きなのは

Stop My Loving

やJoker Smokerで人気のこのRiddimで歌う

What Kind Of Herb
Take it away~




Ansel Collins

今日はこの人

Ansel Collins!!

ジャマイカ生まれのキーボードプレイヤー

兼シンガーw

キャリアの始めはLee Scratch Perryの元で働いていたが

Dave Barkerとデュオを結成する。

71年にはDouble Barrelをリリース。

これがイギリスでNo1ヒットに。


彼のキーボードはSkinhead Reggae スタイルの例になってたそうな。

また、プロデューサーもしていて

ソロレコードとして

'Cock Robin'

'Atlantic One'


'Stalag'

'Nuclear Weapon'

を1969~1971にリリースしている。

Monkey Spannerも世界的にヒット




My Space:http://www.myspace.com/anselcollinsmusic






3月19日

今日の夜3月19日10時~は

かくれあわびで

The Returnやってます!


ADM:¥1500/1drink!

そしてその次の日20日は

Shanty Townで

Midnight Rockやってます!


南海高野線’我孫子前’駅より歩いて5分

大阪市住吉区清水丘2-1-13でございます。

こちらも10時スタート!

ADM:500円とゆう安さ半端ない!

本気で遊ぶがコンセプトなんで

本気で遊びたい人は是非!


2010年3月17日水曜日

Alton Ellis

でました。

Rocksteady知ってる人で

この知らん人おらんでしょ?!

Alton Ellis!!

ジャマイカが生んだ超Big アーティストです。


レゲエ界ではとても珍しく反ルード ボーイ派です。

おもなレーベルは

Studio 1
Tresure Isle
Trojans

1959年にEddy Perkinsとデュオを結成し

Alton & Eddyとして

'Lullaby Angel'

をStudio 1から初リリース。

同じ年にリリースしたMurielは大ヒット。

そして

My Heaven

I Know It All

I'm Never Gonna Cry

Yours

などをリリース。

その後解散しJohn Holtと結成するが

John HoltがParagonsに入ると

Alton & The Flamesを結成した。

そして当時コクソンのライバルであった

Duke ReidのTresure Isleで活動するように。

そこで

Girl I've Got A Date

Cry Though

Rock Steady

などのヒットを残す。

スカの時代が終わりロックステディが出てくると

一気に活躍するようになる。

彼がリリースしたRock Steadyが

ロックステディの名前の由来って事は

結構有名ですね。

この頃からStudio 1にも戻るようになり

2大レーベルから名曲を多数リリースした。

60~70’s前半では

Deliver Usや

Back to Africaが

爆発的にヒット。

Mad Madなんかは

Alton が初めて1967年にレコーディングし

何度もMad Mad Riddimとして使われるように。

そしてそこからDiseases Riddimが誕生。

YellowmanのZunggu Zunggu Zungguzenなどで有名ですね!

Altonはよくイギリスで活動するようになり

Janet KayのLoving You

を手掛けたりとイギリスでも活躍を見せつけた。

自分でもレコードをプロデュースした曲では

My Time Is The Rightや

The Message

があります。

子供が20人いる大家族のAltonは

Noel EllisやChristopher Ellisの父でもあるんですね。

しかし残念な事に2008年10月10日に

70歳でなくなりました。

本当に残念ですね。

R.I.P Alton




2010年3月16日火曜日

Alborosie

今日はあと二人いこうと思うんで

サクサクいきますよ~!

ではAlborosie!!


Foundationちゃうけど行っときます。


1977年イタリア生まれの彼は

2001年にソロ活動を始め

初アルバム'Soul Pirate'をリリース

2009年にはアルバム2枚目'Escape From Babylon'

をリリース。

ちなみにHerbalistのプロモは

ジャマイカで放送禁止に。

Kingston Town

Come Around

No Cocaine


これからの活躍が楽しみですね!

自ら作ったForward Recordingsも要Check!